インタビュー@星島日報

本心は心に隠してる?

陳小春は毎回パパラッチに追い掛けられると怒り、プライベートを守ろうとしてきた。また小春個人は粗暴で、いつもいい加減に物事に対処しているという印象を人に与えている。しかし彼は細やかで、正直な人間であるということを誰も知らない。その不満は、自分自身の原則を守ろうとすることにすぎない。新譜《鬥》の主題は、香港の歌手が争わず、心を合わせて外へ向かって行こうということだという。
他人から見た陳小春は、愛憎の区別が分らないだけでなく、心の底では愛したいと思っていても、失恋の心境を吐露し続けている。小春はこのこの話しを聞いて「当時、車婉婉とつき合っているとき、僕はみんなとこの喜びを分かち合いあいたいと思っていた。話すことが嬉しかった。しかし最初から癩蝦毛想食天鵞肉と言われた。瀬蝦毛(小さな虫の一種)はいったい車小姐を指すのか僕を指すのか。しかし僕は天鵞(白鳥)ではない。そのときから、僕は嬉しいことを他人と分かち合うとことが出来なくなった」。
何ごとも率直に言うと思われている小春は、今回の新譜《鬥》に自らの理論を込め、メッセージが伝わるといいと思っている。それは香港のすべての歌手が力を合わせ、香港の音楽シーンを守り、心を合わせ力を合わせ反撃しようということだ。彼は「今回僕の新譜は《鬥》という一字。香港の歌手はお互いの競争が激しすぎる。それが他の国の音楽が(香港に)侵入してくる機会を与えてしまっている。それは僕たち内部がつくり出してしまったことなのだ。以前香港の音楽シーンと日本と渡り合っていた。これは驚くべき事だった。しかしそれは過ぎ去ってしまったこと、戻ってはこない。かつてはよかった、今は多くの人(歌手)がいるが、互いが争っているだけ。力を合わせ外国と競ったほうがいいと思う」と話す。


映画については、94年映画《晩9朝5》で第13回香港電影金像奨最佳新人奨を受賞、同年映画《金枝玉葉》で最佳男配角を受賞後(これは間違いで、1995年第14回香港電影金像奨最佳男配角を《晩9朝5》で受賞)後、小春は映画を撮り続け、すでに50本をこえる映画を撮影している。しかし映画賞はその後貰っていない。いったい彼の演技に何が不足していて認められないのだろうか。
小春は「僕は演技を勉強したことがありません。香港で主演男優賞を受賞するのはとても難しいことです。香港にはたくさんの影帝がいますから。僕は映画にたいしては、研究生のような態度でいます。それは俳優はとても受動的で、映画の中で演じる役は、他人が僕に相応しいと思う役だけがオファーされます。自分が望むようなものがオファーされることはとても難しく、いろいろな事は自分の自由になるものではないからです」と謙虚に話した。


しかし小春にとって《古惑仔》シリーズの山鶏は代表作ではないのか? 「はっきり言って、今になってもいまだ代表作はないと思っています。今待っていることろです。僕も他の多くの俳優と同じような状態です。つねに自分は何を待っているのかと問うています。しかし未だにやってきません。すべての影帝も受賞後にはもそう思うかもしれません。もしいま僕にもう一度同じ役を与えてくれたら、全く新しい感覚を観客に与えられるのにと。実際には影帝になれなくてもかまいません。僕は目標に向かって努力していくだけです。僕は今までやったことのないことを試してみたいと思っています。それは今まで演じたことのない役と、演じたことがある役をまったく違う解釈で演じてみることです。違う解釈で演じる時にはまた違った感覚になるでしょう」と小春は話す。


今の社会はレトロブーム。懐かしい大物歌手がコンサートを開き、毎回大入りだ。小春は映画《古惑仔》のオリジナルメンバーで再び打って出る気はないのだろうか。彼は笑って「それは僕の考えではありません。僕も《古惑仔》10周年で何かしようと考えたことはありました。しかし先頭にたってやる人がいません。これは10年や15年ということで何かするというのではなく、僕はただ劇中の5人で一緒に何か出来きて、みんなに5人を印象付けられたらそれでいいと思っています」。by 2006.11.4「星島日報」