監督のせいで映画への情熱が失せる

陳小春はインタビューの中で、あるシガーを吸う監督が尊大で、小春とコミュニケーションを取ろうとしなかったために、彼の映画への興味が無くなったと話した。
近年、業界ではワインやシガーが流行っている。ある監督は撮影の時でもシガーを吸っているが、それは個人の趣味でたばこを吸うのと変わりはない。そのことが監督が尊大だということとは関係がない。
監督が尊大。これは俳優個人の受け取りかたであって、筆者はそれについては批評はしない。ただし、1本の映画を主宰する監督としては、すべてを仕切ることがかならず必要だ。
多くの名監督は俳優たちに「暴君」と密かに形容されている。その主な原因は、監督は多くの場合、俳優個人を発揮させず、監督の示す方法で演じるように強要するからだ。
それぞれの監督にはそれぞれの撮影方法がある。観客は撮影の過程を見るのではなく、完成した作品を見て評価を与えるのだ。
・俳優は表現する「道具」とみなされる
ある著名な監督は筆者にはっきりと語った。香港のスターたちは自我が強すぎると。またある監督は、俳優は1つの道具にすぎない。監督は俳優を通して観客に自分の考えを伝えるのだと。
従って俳優は、自分の演技方法をもって演じるのではなく、監督の要求通りに演じなければならない。
表現する「道具」を使った、優秀な演出が人々に賞賛される。そして成功した俳優は、監督よりも高い評価を与えられるのだ。
ある監督はたしかに俳優とのコミュニケーションを好まず、ただひたすら自らの要求に合致するまで演じさせる。優秀な俳優が、コミュニケーションを好まない監督に遭遇したら、それは一種の試練だと言えるだろう。何も適切な指示がないもとでは、絶えまなくいくつもの演じ方を試し捜して行くことだけができるだけだ。
俳優の目には尊大な監督と写るだろう。しかしどうし成功できるのか、よく考えてみる必要があるだろう。
映画界全体への興味が薄れたのは、ある監督が原因なのか、1人のプロの俳優の態度が原因なのか。by 2005.6.27「明報」郭[糸遣]澂 記

小春! 希望[イ尓]看這段文章!